2011 関東学生Aリーグ


中村プロ(前列右から2番目)の治療やコンディショニングを当時担当していました。

学生時代、彼女の夢はプロゴルファーか、それとも学校の先生か。

どちらか一本に絞らないと夢は叶わない風潮の日本では、彼女の決断に「・・・・・」という意見もありました。また高校卒業段階で仕上がっていないと、プロゴルフの世界は大卒では厳しいという声もあったのが事実。でも両方取りに行ったんです。個人で練習内容を決めていた高校時代とは異なり、大学部員としての活動には様々な決まりがあります。個人の自由にならない点を覚悟の上での入部だったと思いますが、大学が横浜市内でもあり、メンテは弘明寺院で、トレーニングはメニューを渡し、自分で行う方針でいました。この「メニューを渡す」というやり方は、直ぐに限界を迎えます。

中村と相談し、フィジカルトレーニングにおいて足りない点を補おうと、大学に出向くことになりました。自身が、大学部外者⁈ではないものの、日体大卒ではないこともあり、どうも受け入れが難しかったという印象で簡単には進まなかったです。何度か大学とのやり取りがあり道はひらけました。トレーニングは部活動で決められたもの、あとは個人任せという内容だったと思いますが、いざ大学に出向くと何名もの選手がトレーニングに参加してくれたのは嬉しかったです。

実は、大学に出向く本当の目的は違うところにありました。

ここまで、関東学生Aリーグの下位または、Bリーグの上位を行き来していた日体大女子ゴルフ部。2008年秋にはBに降格し、再びAリーグ昇格を目指し、このままではいけないと気持ちを合わせて奮起したいところでした。ゴルフはもともと個人競技、ゴルフトレーニングもまた個人個人違うはずですが、団体勝利のためには、部の一体感を作り出すためにも、トレーニングの一部を皆で取り組むことはプラスと考えたのです。勿論当時のキャプテン稲垣の思いでもあったと思います。

大学に伺うようになり驚いたことがありました。

それはゴルフ部のポジション⁈にあります。ポジションというと言葉は語弊があるかもしれませんが、校内でもなんとなく、優先されていない雰囲気があったように感じたこと。

日体大の運動部といえば、どの部活動も全国トップ、日本代表や中には世界一の選手など数多く排出されています。トレーニングルームも、使ってはいけないことはないが、ゴルフ部はやや使いにくそう..、体育館の空きスペースでトレーニングを始めるものの、知らない間に断りもなく他の部活動がそのエリアを占有してしまいます。

「お前らどけ」そうは言われませんが、「ここいいですか?」という断りなく、占有されてしまいました。そんな経験をすると、やはり結果にこだわりたくなるのが私の性分なので、意地でもAリーグ昇格を達成したくなるのです。

この写真はおそらく2011年のメンバーかと思います、Aリーグ4位に返り咲きました。今でも忘れない経験です。


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