トレーナーを諦めていた新堀をトレーナーにすること
懐かしい写真が出てきました。
開業3年経過した頃からトレーナー活動を始めたんです。
「3年待ってください」
2000年に声をかけていただきました。接骨院で真面目に研修してきたこと以外、何の活動歴もない自分にどうして声をかけてくれたのか。それは今でもわかりませんが、嬉しい反面、トレーナー活動を始めてしまったら、開業したてで店がどうなるかもわからないので、「3年ぐらい待ってもらえたら」と半ば断ったつもりでした。しかし「3年」でどうにかできると根拠もなく返事をしてしまったのも事実。それが本当にこのような結果につながっていき新堀と2人、夢にチャレンジすると決めたんです。この年から怒涛の日々が始まりました。
最初の頃は、休診日だけ活動していましたが、本国体ともなると遠方でそうはいきません。患者さんにお詫びをして休むことにしました。売り上げは帯同費だけになるし、計算なんてあったもんじゃありません。しかし帯同前後の接骨院はその休みを取り返すかのように大混雑するので腕はパンパンになります。
早朝飛行機で移動し、現地に着いたらすぐに仕事が始まります。朝は選手と同じ時間に起床し、夜は監督・コーチ陣との飲みニケーション。よく体がもったなぁ...と思います。最終便で横浜に戻り、翌朝職場に戻ると試合の結果を患者さん達が調べてくれています。
「先生結果よかったね!さすが!」
と声をかけていただける。試合のために接骨院を休むなんて、この先出来ないかもしれませんが、本当にあの頃通っていただいた患者さんには感謝しかありません。そしてチャレンジしてよかったと改めて思います。
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