大切なものほど目に見えない
今年も誕生日の3日、数年前に退職したスタッフから祝いのLINEをいただきました。毎年忘れず送ってくれるので、その度に近況のやり取りができます。忘れず連絡をくれることに大変ありがたく思います。最近ではサラリーマン柔道整復師が増えつつありますが、個人の技量で食べていくという点では、開業目的であろうが、サラリーマンであろうが、個人の技量を磨かなければいけないことに変わりはないので、以前から
「引き出しは少しづつ増やすこと(生涯学習)」
「その引き出しを開けるタイミングは患者さんから学ぶこと」
「そして家族のように言葉をかけること」
以前からこの3つを特に大切にし伝えています。
当時はこれが理解できなかったと言っていました。またわたしの表現が、抽象的であるでもあるのか、なんだかよくわからない、自分にその引き出しが有るのかすら分からないと言っていたことを覚えています。また当時のスタッフは常に7・8人。先輩同様、接骨院を開業したいと、志の高いスタッフが在籍していたこともあり、院内はギラギラしていました。自身が劣っているかのように感じることもあったのかもしれません。
彼は言いました。
『いつまでも自分に自信が持てなくて、引き出しの意味すらわからなかった。毎日多くの患者さんに触れてはいても、とにかく自信がもてない」...「でも新しい職場で、同僚とのレベルの違いに驚きました。えっこれでいいの?凄いってどういうこと?』そんなに驚かれるんだ。まさに「自分のまつげは見えなかった」ようです。
(photo:2014 EIRFactory)
また上記の彼よりも前のことでしたが、新卒で入社したときのこと。
患者さんを診させてほしいと繰り返し言っていたスタッフもいました。
私は頑なにそれをさせません。
まず「トイレの掃除をしなさい」。
彼は繰り返しました「資格も取ったのに患者さんを触らせてくれない」「ここには治療の勉強に来ているのに...患者さんを触らせてくれない。トイレ掃除をしに来たのではないんです」
何もできないのに体を痛めている人に何をしようというのでしょうか...。
『患者さんをモノみたいに考えているように見受けられた発言を許すことができず』一度も触れさせずにその彼は離職をしました。しかし、そこから数年して連絡が来ました。ようやく伝えてい意味を理解したようで、何が大切なのか気がついたといいます。本当に分かったのかはわかりません。
「何れ分かるよ」
これは私がよく使う言葉でもありますし、私もそのように指導されてきました。いずれ分かるってどういうことか、未来が見えてこない若者には、かえって混乱させてしまう言葉なのかもしれません。ただ....。
「トイレの掃除をしなさい」
上から眺めて見える範囲で掃除をするものと、屈んで下を覗き込み掃除をするもの。手洗いの蛇口の付け根汚れをブラシで磨くものと、跳ねた水だけ吹き上げるもの。
様々ですが、人の体に触れさせていただくにあたり、最低限の心構えができているのかいないのか、そんなところで判断している点は気がつくと開業してから変わっていませんでした。
0コメント